最近肩こりがひどい

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人は環境に支配される生き物である。

小さい頃は、周りの大人から「しっかりしているね」と言われていた。あの頃はしっかりしていると言われることが嬉しかった気がする。ただ、どちらかといえば、自らを律してしっかりしていたというよりかは、しっかりせざるを得なかったという表現が正しいかもしれない。私が6歳のときに両親は離婚し、そこから母親と弟だけが私の家族だった。弟は生まれつき身体の病気を抱えていたため、長女の私がしっかりしなくては、迷惑をかけすぎないようにしなくてはという思いでいっぱいだったことを覚えている。

特に母親からしっかりしなさい等と言われることはなかったが、幼いながらに自分が置かれてる環境が「普通の環境」ではないと分かっており、私が頑張らなくてはとどこかで感じていたのだと思う。

 

 

 

人は「環境」に支配される生き物である。

 

 

 

幼少期~大学までの自分

 

あのころの自分と比べれば、比較的今はゆるりと生活しているなと思う。

 

あのころと言っても、冒頭で述べた幼少期~大学時代まで「しっかりしている自分」、環境に支配されている自分は続いていく。しっかりしている性格に、中学時代の所謂いじめによる自己否定力などがプラスされ、「自分でどうにかしなくては」「人には頼れない」と思う気持ちが強くなり、基本的に少しの外出でも気を抜いて生活することができなかった。

 

対照的に高校大学時代は、エネルギッシュに素で過ごす時間が増えたが、それでも「人には頼れないので自分で全てをどうにかしていかなくては」という意識は消えなかった。自分のことは自分で守らなければならないという環境に身を置いてきたため、一人でも生きていける強さが人生において一番重要なのだと思っていた。

周りからは「自分を持って生きている強い人間」というような印象を持たれていた記憶がある。そして私もそう思われたかった。一人でも生きていける人だと思われたかった。そうなることで、自分で全てをどうにかできる力を着々と着けているような気がしていた。

 

 そういった意識のせいか大学を卒業するころには、就活の軸は「(一人でも生きていけるように)成長できる企業」といったものであった。

 

 

入社した会社とのギャップ

 

新卒で入社した会社はベンチャー企業で、様々なことに挑戦していく姿勢の会社だった。周りの同期たちも非常にやる気に満ち溢れていて、これまた環境に支配される生活を送ることになった。

大阪から東京に上京し社会人生活が始まった。訳もなくせかせかしていたし、常に何かと戦っていた。先輩、同期、時間、ノルマ等々。成長することが一番大事。そのためには寝る間も惜しまない。平日朝7時30分~21時、土日もお昼ごろから夕方くらいまで熱狂していた(働くことを熱狂すると表現していた)。そういった環境に特に疑問を感じたことはなかったし、成長するためには同世代よりも働いて思考することが大切だと信じて疑わなかった。

 

 

ーーーーそんな日常に転機が訪れたのは突然だった。 

 

 

ある日の朝、起き上がることが出来なくなった。会社を休んだ。いろんな意味でこのままじゃダメだと思った。パッと洗脳が解けたかのように「あの人たちの言っていることって本当に正しいのか・・・?」と考えるようになった。こういったことを考えてしまった時点で、負けだとも思った。

しっかりしなくちゃと思いなおそうとしても、身体も精神も全然ついてきてくれなかった。自分ひとりで考えていたら、どんどん負の感情に苛まれてしまい、このままひとり社会から取り残され、社会から忘れ去られてしまうのではないかとまで思った。

 

迷った。人に相談するか迷った。こんなに弱い部分を見せていいものなのだろうかと悩んだ。しっかりしている自分を捨てることがすごく怖かった。しっかりしている自分じゃないとガッカリされるんじゃないかとか、嫌われるんじゃないかと思った。いつだって強い自分であることが自我を保つ唯一の方法だった。

 

強い自分としての体裁を保つことか、社外の信頼できる友人に恥を忍んで相談するかの二択だった。精神は極限状態だった。気づいたら「会社休んじゃった、どうしたらいいかな」と高校からの友人、会社を先にやめていた友人、中学の友人、色んな人に話していた。

 

初めて、人に心から「ヘルプ!」と言った気がする。結果としては、拍子抜けだったと表現したい。強い自分なんてどこにもいなかったようだ。弱い部分があることはとっくに友人たちにばれており、みんな口をそろえて「帰ってこい」 と言ったのである。

 

私はそののち、会社を辞め、今はゆるやかな職場でゆるやかな毎日を過ごしている。心から、友人には感謝をしているし、一大決心の引き金になった前職にも感謝している。

 

環境に支配されることによって、人は強くもなり弱くもある。流されることに疲れたときは、立ち止まってあらがってみても構わないということを学んだ。